2009年12月の記事 (1/2)

蓑口先生中国へ取材旅行に出発

 本高の蓑口一哲先生が、中国へ取材旅行に出発します。
 太平洋戦争における日本兵の玉砕をテーマに戦争資料をまとめている本別高校教諭の蓑口一哲さん(帯広市在住)が、12月28日(月)から13日間の日程で中国南西部の雲南省に滞在し、旧陸軍第56師団の足跡をたどります。渡航に先立ち、遺族や関係者らの証言を集めており、蓑口教諭は「北ビルマ(ミャンマー)に関する証言を参考にするため、ぜひ情報提供を」と呼び掛けています。
 蓑口教諭は、風化しつつある戦争体験を語り継ぐため、2002年からかつての戦場に赴き、体験者の証言に基づきながら戦争当時を追体験しつつ戦争資料をまとめています。すでに中東やアジアを中心に約30カ国を訪問し、今夏にはペリリュー島(パラオ共和国)でも戦争取材しました。
 今回の中国旅行は、昨年、ミャンマーで取材したインパール作戦に関係し、中国側に入った日本兵についての取材する計画と言います。

《参考:拉孟・騰越の戦い》1
 拉孟・騰越の戦い(らもう・とうえつのたたかい)は、1944年6月2日から1944年9月14日まで中国・雲南省とビルマ(現ミャンマー)との国境付近にある拉孟・騰越地区で行われた、日本軍と中国・アメリカ軍(雲南遠征軍)の陸上戦闘のことを言う。日本の部隊は援蒋ルートの遮断のために派遣された小規模なもので、進出した当初の1942年頃は中国軍に対して優位に立っていたが、援蒋ルート遮断後も空輸によって中国軍への支援が継続されたため、連合軍の指導によって近代的な兵力を身につけた中国軍が1944年より反撃に転じ、数に劣る日本軍は圧倒される。日本軍は補給路を断たれ孤立し、撤退命令も出ず、また救援部隊も送られなかったため、拉孟守備隊および騰越守備隊は最終的に玉砕した。硫黄島などの孤島において玉砕したケースは多いが、この戦いは大陸において玉砕した珍しいケースとして知られる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

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