2010年07月の記事 (1/7)

今年も、故山内三郎先生の慰霊祭

 7月15日(木)の朝、本別空襲(1945年7月15日)で犠牲になった旧制本別中学校(現・本別高校)教頭の故山内三郎先生の慰霊祭が、慰霊碑前で行われました。
 山内先生は「本別空襲」と言われるアメリカ軍の空襲で、生徒の避難指示に当たり、全員を防空ごうなどに避難させた直後、背中に爆弾の破片を受けて亡くなりました。
 本別高校同窓生は、生徒を守るために命を落とした山内先生うぃ偲び、1986年に慰霊碑を建立し、その後同窓会が本別空襲の日に合わせて慰霊祭を行っています。
 この日は同窓会の方川一郎会長はじめ役員8人と同校の1年生69人、校長の松下龍一先生らが参列し、方川会長と松下校長があいさつをしました。
「本別空襲」とは、1945年(昭和20年)7月15日午前8時20分ごろから約1時間にわたって米軍機の激しい銃爆撃を受けた空襲です。この空襲による被害は、死者40人、被災者1915人、家屋は279戸が全焼、113戸が大破。市街地の約32%が焼失しました。米軍の記録によると、帯広を目標にした米軍の43機の攻撃隊が悪天候に妨げられ、雲の切れ目から発見した本別町に攻撃を加えたといわれています。
詳しくは、「語りつぐ北海道空襲」(2007年・北海道新聞社刊)

《写真:内山先生の慰霊碑(2010年4月撮影)》
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